今から30年前、当時中学生だった大西信弥はサラブレッドが疾駆する美しさに魅せられ、その繊細さと強靭さを兼ね備えた馬達への“追っかけ”の日々がはじまりました。彼が19歳のときのこと。ヨーロッパへの転戦をひかえ、壮行レースに臨んだ名馬テンポイントが、悪夢の骨折〜43日間の闘病の果ての衰弱死というショッキングな最後を目の当たりにした彼は、いたたまれない気持ちになり、宅でささやかな葬儀をとりおこなった後、生まれて初めて飛行機に搭乗し、遠く北海道へ同馬の墓参りに行ったといいます。
その後、大きな試練に見舞われた彼は25歳の時、単身、海外に飛び出すことになりますが、1984年の夏、滞在していたロンドンで一頭のサラブレッドの置物に出会います。素晴らしい馬でした。躍動感に溢れ、まるで生命を宿しているかのようなその馬の名は、「ミルリーフ」(※写真右)
。
お店の人から情報を得た彼は、矢も楯もたまらず、ロンドンから遠く離れた、この作品を世に送り出した会社を訪ねることになります。それが、彼と「ロイヤル・ウースター」社との関わりのはじまりでした。
1985年当時でさえ、まだ日本人が滅多に訪れることのなかったウースターの地に、その遥か100年以上も遡る1872年、当時、栄光の頂点にあった大英帝国を視察した明治新政府の岩倉使節団一行が訪ねていました。同社の役員から、ウースター社で、陶磁器の製造工程をつぶさに見学した岩倉、大久保、木戸らが、同社でサインをしたためていた事実を聞かされた大西は、感激とともに何か因縁めいたものを感じます。
そして、
その素晴らしさを祖国に持ち帰りたい一心で、日本がバブルの熱にうかれている最中、彼は大手商社等との激烈な争奪戦を制し、東京都渋谷区広尾を本社に、ロイヤル・ウースター・オーナメントの日本総輸入代理店としてのスタートを切ったのです。
1987年のシンボリルドルフを手始めに「伝説の名馬」シリーズをプロデュース。意匠権問題もものかは、オグリキャップやナリタブライアンなど、業界では不可能とされた名馬らを作品化したこともエポックでしたが、装飾置物を「オーナメント」の名称で日本市場に定着させたことや、英国内本社での、景気後退にともなう名作スタジオの衰退に鑑み、1940〜80年代のオーナメント最盛期の作品群のほとんどを手にする事が出来たことは、日本の将来にとっての、大いなる財産と自負しています。
ロイヤル・ウースター社との出会いから20年が過ぎました。時は移ろい、社会情勢も大きく変化しましたが、総輸入代理店としての本契約を締結して以来、私達は一貫してこの作品群を愛し、そのブランドイメージを高め、日本に根を下ろすことに全力を掲げてまいりました。私達がご紹介する作品群は、悠久の時を越えた「アンティーク・ウースター」をはじめ、近年のウースター・オーナメントの金字塔(※写真右)といわれる名作ばかりです。この際に是非、本物の芸術的陶磁器作品を身近に感じて頂ければ幸いです。
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